Vガンダム 44話「愛は光の果てに」

個人的な話だが、小学生の頃に「風の谷のナウシカ」を観て非常に感動したことがある。「ナウシカは心のキレイないい子だなぁ」なんて思ったものだ。ところが最近この作品を見直したところ「オウムより、ナウシカの方が暴走しているのでは」「こんな学級委員長タイプの女の子、鬱陶しくて嫌だな」なんて思ってしまった。どうやら大人になると素直な心を無くしてしまうものらしい。映画を観たり音楽を聴いてもなかなか感動しなくなるし、物事を素直に受け取らずに、つい斜めから穿った見方をしてしまう。そしてこんな自分に疲れてしまったとき、人は子供の頃の無垢さを取り戻したいと願うのだろう。たとえば本屋に行ってみて欲しい。そこには大人が涙するためのチープな童話集や「素直になれば全てうまくいく」なんていう怪しげな自己啓発本が平積みになっているはずだ。

さて、この44話に(突然登場する)キスハールとカリンガーも、そんな「子供のイノセンス」を求める大人たちだ。「子供が大人のように汚れるなど!」というカリンガーの台詞からも、この二人が大人である自分たちを「汚れた存在」だと感じているのがよく分かる。彼らは「子供のイノセンス」を取り戻したかったのだろし、実際、取り戻したのだろう。瞳が異様に澄んでいて、アブナイ光を湛えている。そしてだからこそ、この2人はカルトな宗教にのめり込み、ウッソとマーベットの三文芝居に騙され、シャクティの願いを真に受け、ファラの煽りに乗った挙句、お互いに殺しあい「こんな嘘だらけの世界の中でも、僕たちの愛は本物だよ」みたいなノリで死んでしまう。

Vガンダム 43話「戦場の彗星ファラ」

ムバラク将軍に「世界平和より、家庭の平和を守れよ」と嫌味を言われているウッソの父、ハンゲルグ。しかし今更息子にどう接していいのか分かず、結局いつも突き放した態度でウッソに接してしまう。富野アニメお約束の情けない父親である。

だが、このハンゲルグの存在感はリガ・ミリティア全体にポジティブな影響を与えている。リーンホースの偽ジンジャ・ハナムはハンゲルグへの対抗心からやる気を出しているし、「お姉さん」たちに甘やかされることで、ロクに成長してこなかったウッソが、父の承認を得ようと、ここで初めて主体的に行動し成長しようとする。子供というのは己の存在を無条件で全肯定し包み込んでくれる母性だけではなく、否定して突き放す厳しい父性が存在しなければ成長することが出来ないのだろう。

宇宙漂流の刑に処されたはずのファラは、その刑を下した張本人であるタシロに救助されていたらしい。タシロはファラの首を切って見せることで保身を図り、その上で彼女を自分直属の部下としたのだ。だがそのタシロ自身、後にズガンとの権力闘争に敗れてギロチンにかけられそうになる。地下に潜ったタシロを恐れたカガチは、ズガン牽制のためもあって彼を再利用する。ファラはそのタシロの非公式な部下なのだ。もう本当に訳が分からない(笑)。「偉いさんのやることは鬱陶しい」というファラの気持ちはよく分かる。そして彼女はもうこんな複雑でややこしい汚れた世間のことなんてどうでもいいのだ。男さえいれば。キースはその犠牲になってしまう。

ウッソがこのファラ・グリフォンの情念に飲み込まれそうになったときに、彼を助けにきたのは、あのハンゲルグだ。父の存在に励まされたウッソは、あのカサレリアのマチス・ワーカー(父親)の戦法でファラを撃退することに成功する。父性がその存在感を示すという、Vガン中でも珍しいエピソードだ。

Vガンダム 42話「鮮血は光の渦に」

椅子を尻で磨くだけの男、ピピニーデンの死に様がネタにされる42話。

殺すことでウッソを取り込み、母になろうとしたルペ・シノが正気であったかどうかは分からない。人生に疲れた彼女は「少年のイノセンス」に触れることで救済されたかったのかもしれない。

この物語の中において、人生に疲れ果て、世の中が嫌になってしまっているのはルペ・シノだけではない。宇宙漂流の刑によって正気を失ったファラ・グリフォン。ギロチンがトラウマになってしまったタシロ。この戦争を起こした張本人であるカガチまでもが、世の中に愛想を尽かしている。そんな彼/彼女らがすがるのは「子供たちのイノセンス」だ。カガチに到っては自分自身が無垢な子供となり、母マリアの懐で癒されたいと望んでいるのだ。

ここで富野の発言を引用したい。

それも7、8年後に見ると「富野はVガンでやっぱりあの当時のことを描いてたんだよね」 と、みなさん言ってくれるんじゃないかなあ。 「バブルがはじけて、みんなイジケはじめた大人の世界を、ウッソという子と 対比させて描こうとしたけど、結局どっちつかずになっちゃったね」 といわれることが今から想像つく(笑)。

Vガンダムとは自己実現に失敗して引きこもりつつある大人たちと、そんな大人を見つめる子供の物語なのだろう。高度成長期〜80年代を象徴するのが「地球(母性的なもの)を離れてニュータイプ(大人)になれ」と語ったジオン・ダイクンであり、バブル崩壊後の厭世的なムード漂う90年代を代表するのが、「母の懐に引きこもって幼児退行」したいカガチである。