Vガンダム 4話「戦いは誰のために」

Vガンダムという作品はビルドゥングス・ロマン(教養小説)の否定からスタートしているようにみえる。

過去のガンダムシリーズにおける主人公の成長というのは、結局のところ立派な軍人になることであった。モビルスーツという兵器を操りながら、社会的な自己実現を図り、同時に大人の責任を果たそうとすれば、自ずとそうならざるを得ないだろう。

だがその結果「アムロ・レイ」は、あれほど嫌がっていた軍人をやめることができないまま、大人になってしまう。「逆襲のシャア」における彼は有能な軍人だが、ニュータイプとしては、ある意味において失速してしまっている。そして最後はシャアと共に、アクシズの光の中に消えてしまう。「ランバ・ラル」を目標とし乗り越えた時点で彼の運命は決まっていたのかもしれない。

富野はそれが嫌だったのだろう。このVガンダムにおいてウッソがガンダムに搭乗する理由は、最初から最後まで変化が無い。彼は最後までプロの軍人にならないし、同時に大人にもならないのだ。これは「∀ガンダム」の主人公「ロラン・セアック」にも通じるところがある。彼もまた最初から完成された人格の持ち主として登場し、それは最終回まで変わらない。