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カテジナ日記

Vガンダムと富野由悠季作品

AV-98 イングラム ~父の力~

パトレイバー

リアリティーの問題を離れた場合でも、篠原遊馬はイングラムに搭乗することができない ーまたはしないー。なぜか。それは遊馬がイングラム=父の力を否定しているからだ。

ロボットものならずとも青少年向け作品なら避けて通れないテーマの一つが、父との関係をどのように処理するかだと思う。そのパターンはいくつかあるだろうが、だいたい以下に収まるのではないだろうか。

・父になる(和解する/肯定して、あるいは否定して乗り越える)
・父にならない(逃げる/敗れる)

遊馬に当てはまるのは、「父にならない ー逃げるー」だろう。この彼の父親への否定的な感情は、直接的には彼の兄の死 ー自殺?ー に関係がある。そしてそれ故に遊馬はイングラムに乗れない ー乗らないー 。なぜなら、彼はそんな父の作った力の正当性を信じられないからだ。

しかし何故、作者は父をそのように ー否定的にー 描いたのか。その理由を一言でいえば、恐らく企業や警察といった父権的なもの一般を嫌っている、もしくは信じていないからだろう。それは遊馬の地頭はよいのに、あえてー父へは接続しないー 落ちこぼれの道を選ぶ態度からも透けて見えるし、また、それ故に作者は後藤喜一を父権的な男性としては描かなかった。

繰り返しになるが、イングラムというのは二重の意味で父の力だ。それは遊馬の父 ー篠原重工ー が作ったロボットであると同時に、国家権力という父権が国民 ー息子ー に与える力でもある。だが遊馬も、作者も、そしておそらくは読者も1980年代という時代において、そのような力の正当性を無邪気に信じることができなかったに違いない。

そして、だからこそ彼はイングラムのコクピットに座ることができなかったのだ。(ちなみに太田が乗れるのは、おそらく色んな意味において鈍いからだと思われる)

また、この意味においてパトレイバーという物語で最初に課題 ー父のロボットに乗れない少年ー を提示したキャラクターは篠原遊馬だ。したがって、通常なら物語の最後には、その彼のドラマがなんらかの形で回収されなければならないはずだ。