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カテジナ日記

Vガンダムと富野由悠季作品

篠原遊馬の挫折 ~そして久世駿平へ~

泉野明が理想の大人として、後藤、杉浦先生、父親といった「学校の先生」タイプを提示するのに対して、遊馬は実父である篠原一馬はもちろん、「誰も尊敬できない」と言う。そう、彼にとっての大人のロールモデルは存在しないのだ。そしてこれが遊馬の物語の結末でもある。考えてみれば、この野明と遊馬の会話の直前、イングラムの不正入札疑惑の際に、疑惑の真相を確認するため、遊馬は一馬に会いに行っている。だが、父は遊馬の詰問を一蹴する。「お前には関係ない」と。ここで驚くことに遊馬はそのまま黙って帰ってきてしまう。その理由を彼は「どうでもよくなったからだ」と説明する(父の不正を確信したにも関わらず)。この瞬間、遊馬の未来が確定する。父との和解もなければ、対決もない。オルタナティブな大人像もない。ここで、作者は遊馬の問題をある意味で放り出してしまった(どうでもよくなった)のだ。それが前述の遊馬の態度に繋がる。

 

そしてこれ以降、コミックス版パトレイバービルドゥングスロマンとしての側面は、泉野明が一人で担うことになる。繰り返しになるが、このパトレイバーという作品の中で、作者は遊馬の成長を描けなかった。だが、これが、ゆうきまさみの次作 「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」に繋がる。作者はこの問題を久世駿平に託したのだ。しかし、このじゃじゃ馬~もある種の撤退戦ではないだろうか。なぜなら、遊馬が抱えていた課題が、小さく設定され直しているからだ。じゃじゃ馬~とは、言ってみれば、正義の警察官や財界人という「大きな父」になり損ねた遊馬が、職人や生産者として「小さな父」になる物語だ(別に後者を貶めている訳ではない)。別の言い方をすれば、じゃじゃ馬~における駿平=遊馬が目指すのは、篠原一馬ではなく、実山である。だが、これは野明とほとんど同じ道でもある。