カテジナ日記

Vガンダムと富野由悠季作品

Vガンダム 25話 敵艦と敵地へ

「大尉は変わろうと必死なんだ」。このカテジナの台詞のとおり、今までどことなく頼りないおぼっちゃん風だったクロノクルが「大人の男」として生まれ変わるため必死で努力する姿が描かれる。主人公のウッソと異なり、クロノクルとカテジナは努力と成長の価値を比較的素直に信じている。もちろんこれは非常に大事なことだ。私にはこのクロノクルの焦りがよく分かる。20代も後半になると「そろそろ俺もいい加減、大人にならないとな…」なんて思うものだ。アニメを観ていて思うことじゃないが。


さて話を戻すと、このクロノクル、大人の男になるべく努力をしてはいるのだが、その動機はどうやら女(カテジナ)である。これはよく分かる話で、いまどき男の子が成長したいなんて思う動機は、大抵は女の子にモテたいと思っているときだ。これはZガンダムにおけるジェリドや、逆襲のシャアにおけるギュネイも同様だろう。Zガンダム以降、富野は「男を成長させるのはランバ・ラルのような男ではなく女だ」と思っている節がある。ただしジェリドもギュネイも、このクロノクルも、女の子にマッチョなところを見せようとして失敗し、結局ひどい目にあってしまっていることには注意しておきたい。


また、クロノクルにとって大人になるということは、結局のところザンスカールの立派な帝国軍軍人になるということだ。だが、これはリガ・ミリティアや他の地域に住む人々にとっては「単に迷惑」なだけだ。当たり前かもしれないが、社会Aにおいて大人になるということが、社会Bにおいてはそれを意味しないことがある。例えば60年ほど前にこの国で社会から尊敬されていた立派な帝国軍軍人も、他所の国に行けば全く違う存在だったはずだし、もちろん現代の日本にワープしてこられても、私たちはちょっと困ってしまうはずだ。そして現代は多様な価値観が混在しており、大人の条件が曖昧で常に揺れ動いている社会だ。こうしたある意味において不安定な社会では、子供は視野を広く保ち、手探りをしながらゆっくり大人になる必要がある。だが、生真面目なクロノクルはここで焦ってしまったのだろう、マリア主義という単一の価値観の許で一気に大人になろうとするのだ。