Vガンダム 30話「母のガンダム」

ウッソの母、ミューラ・ミゲルはオカルティックな夢まで根拠にして息子に「ニュータイプ」や「希望」といった、自分自身では手に入れられなかったものを押し付け、英才教育という名の洗脳教育を施した挙句、彼を手放そうともしない。ウッソは彼女の人生の補償なのだろうか。ウッソもウッソで母に違和感を感じながらも、彼女から離れようとはしない。

過去のガンダム・シリーズにおける主人公の成長とは「母親」あるいは母親代わりの「幼なじみ」を捨てて「他の女」のところへ向かう。ファースト・ガンダムであれば、アムロはカマリアやフラウ・ボウから離れて、マチルダララァのもとへと走った。Zガンダムにおけるカミーユは、ヒルダ・ビダンとファ・ユイリィから逃げて、フォウを選んだ(そして帰ってこれなくなった)。このガンダム・シリーズにおける「母の愛情を捨て、大人の男に成長する主人公」というのは、「地球の重力圏を脱して、ニュータイプへ進化する人類」と平仄があっている。何故、シロッコがあれほどに地球の「重力の井戸」を恐れ、また女たちを「調教」しようとしたのか、なぜシャアは地球に拘りながらも、そこに隕石を落とそうとしたのか、考えてみると結構面白い。

だたここで注意して欲しいのは、アムロはともかく、カミーユは最終的には「彼女たちから逃げ切れなかった」ということだ。TV版 Zガンダムのラストで精神崩壊し、大人の男どころか白痴=子供同然になったカミーユアーガマへ連れ帰るのはファなのだ。そしてVガンダムにおけるウッソは母親を鬱陶しがるどころか、違和感を感じながらも積極的に母の胸に飛び込んでしまう。おそらくこれは富野の「成長物語」に対するスタンスが変化した、ということだろう。