Vガンダム 36話「母よ大地に帰れ」

ミューラ・ミゲルはウッソを手放す覚悟を決めたらしいが、ウッソの方はまだ母親に拘っている。そんなウッソを無理矢理母親から引き離すべく、富野はこの36話でとうとうミューラ・ミゲルを殺害してしまう。「キエル嬢のスカートの中に頭を突っ込みたい(母性の中に包まれたい)」と発言してしまう現在の富野の姿からは想像しにくいが、このVガンダムという物語の基底にあるのは、この富野の母親に対するアンビバレンツな感情だろう。

個人的に面白いのは、クロノクルとカテジナの反応だ。「地球クリーン作戦」によって多くの人々を殺戮してきたにも関わらず、クロノクルの表情は実に晴れ晴れとしていた。だが、この人質作戦の結末については、クロノクルもカテジナも激しく動揺してしまう。何万人も殺してきた彼らが、たった一人の死に耐えられないのだ。何故か。

彼らは地球クリーン作戦という「正当な手続き」によって人が死ぬ分には一向に構わないのだ。もちろん、ここでの正しさはマリア主義が保障してくれるため、何千人、何万人死んだとしても、それはクロノクルたちの責任ではないのである。しかし、この人質作戦は彼らの信じるマリア主義の教義に照らし合わせてみても明らかに間違った作戦だったらしい。クロノクルとカテジナの動揺は「自分の手を汚してしまった」という後ろめたさからきているのだ。

ここにあるのは「正しく行動すれば、その結果に責任は持たなくてよい」という発想だろう。彼/彼女は、自分の純粋さが担保されていればよいのだ。それを押し通した結果としてなんらかの悲劇が起こったとしても、それは社会の側が引き受けるべき責任なのである。