Vガンダム 42話「鮮血は光の渦に」

椅子を尻で磨くだけの男、ピピニーデンの死に様がネタにされる42話。

殺すことでウッソを取り込み、母になろうとしたルペ・シノが正気であったかどうかは分からない。人生に疲れた彼女は「少年のイノセンス」に触れることで救済されたかったのかもしれない。

この物語の中において、人生に疲れ果て、世の中が嫌になってしまっているのはルペ・シノだけではない。宇宙漂流の刑によって正気を失ったファラ・グリフォン。ギロチンがトラウマになってしまったタシロ。この戦争を起こした張本人であるカガチまでもが、世の中に愛想を尽かしている。そんな彼/彼女らがすがるのは「子供たちのイノセンス」だ。カガチに到っては自分自身が無垢な子供となり、母マリアの懐で癒されたいと望んでいるのだ。

ここで富野の発言を引用したい。

それも7、8年後に見ると「富野はVガンでやっぱりあの当時のことを描いてたんだよね」 と、みなさん言ってくれるんじゃないかなあ。 「バブルがはじけて、みんなイジケはじめた大人の世界を、ウッソという子と 対比させて描こうとしたけど、結局どっちつかずになっちゃったね」 といわれることが今から想像つく(笑)。

Vガンダムとは自己実現に失敗して引きこもりつつある大人たちと、そんな大人を見つめる子供の物語なのだろう。高度成長期〜80年代を象徴するのが「地球(母性的なもの)を離れてニュータイプ(大人)になれ」と語ったジオン・ダイクンであり、バブル崩壊後の厭世的なムード漂う90年代を代表するのが、「母の懐に引きこもって幼児退行」したいカガチである。