カテジナ日記

Vガンダムと富野由悠季作品

「父」ではなく「パパ」として。

あれは「ゴミ出しが嫌だ」とか、「家庭が嫌なのでアルコールに逃げている」という話ではない。

 

主人公は、ゴミ出し自体を不満に思っているのではない。
彼の不満は、その向こう側にある、もっと根本的なものから来ている。
それが、たまたま、ゴミを捨てるという行為の中に現れているにすぎない。


ちなみに、ごみ捨てがモチーフになっているのは、世の中の男性がやっている最大公約数的な雑事だからだ。
「ゴミ捨てが嫌かどうか」なんて、ピントのずれた話だ。

 

あのCMで描かれてるのは、彼の小さな「反乱」だ。
それは、「家庭」…いや、「家庭人」である彼自身に対しての反乱だ。

 

その原動力になったのは、ゴミ出しでもなければ、妻や子供にたいする不満でもない。
「俺は”父”にはなれなかった」という想いだ。
彼はよき「パパ」である。
すくなくとも、そうであろうと努めている(努めてきた)。
だが、しかし、「父」ではない…。

 

ある日、彼は、ほんの少しだけ、「パパ」ではなく「父」であろうと試みる。
子供の誕生日なのにも関わらず。
いや、子供の誕生日”だからこそ”、だ。

 

…彼は、妻に対してなんの釈明もしない。
おそらく、彼の父がそうであったように。

 

だが、しかし、風呂の中で彼は思う。
幼い日の彼は、父の背中を洗い流しながら、その背中から無言のメッセージを読み取っていた(と思っていた)。
彼は、自分の家族にも、それが通じてほしいと願っていた。
…ほんの少しだけ。

 

だが、彼は、今、一人で風呂に入っている。
彼の背中を流してくれる人はいない。
やはり彼は「父」ではなく「パパ」なのだ。
そうでしかありえないのだ。
これが現代だし、彼の選んだ人生なのだ。

 

「ごめん」。
彼は、明日からふたたび「パパ」として生きていゆくだろう。

(そしてその傍らには、いつも”牛乳石鹸”があるだろう)