Vガンダム 7話「ギロチンの音」

ファート・ガンダム以降、ロボットアニメは「どうやって、主人公に戦う理由を与えるか」という問題に苦心してきた。この7話はそういった「ロボットアニメの苦悩」がストレートに表れている回だ。

今どき、いきなり世ため人のために立ち上がってしまう熱血少年なんていないだろう。ファースト・ガンダムはその問題を最も巧妙に切り抜けた作品の一つだ。フラウ・ボウを助けるためにガンダムに乗り込んだアムロは、なし崩し的にホワイトベースのクルーに編入されてしまう。すぐに戦闘を拒否するもブライト・ノアの挑発に乗り「男として」自発的にシャアに戦いを挑む。その後再び脱走するが今度はランバ・ラルに「年上の女性をめぐるささやかな闘争心」を刺激されてこれを打ち破る。そしてこれらの過程において戦争の悲惨さをも経験する。このようにしてアムロの戦う理由は個人的なものから社会的なものに接続される。

しかし、それでも「戦うのは僕じゃなくてもいいはずだ」という疑問は強く残るだろう。ここで過去のガンダム・シリーズが持ち出している理由が「男のプライド」だ。アムロガンダムに乗ることを決心したのは、「男として」シャアと戦うためだった。Zガンダムカミーユも「男の証明」としてジェリドに殴りかかった。

だがVガンダムにおける主人公ウッソは、ザンスカールに対する個人的な恨みを持っていないし、シャアのような、男のプライドを刺激するライバルにも出会っていない。ウッソに戦うモチベーションを与えられないリガ・ミリティアの大人たちは、オイ伯爵の殺害シーンまで見せて説得を試みるのだが、これは彼の大人に対する不信感を強めただけで逆効果に終わってしまう。このように「男のプライド」的なものにこだわりを持たないウッソの戦う理由は、基本的にいつまでも個人の域を出ないのだ。