Vガンダム 34話「巨大ローラー作戦」

一年戦争は建前として「弱者」が生き残るための反乱だった。だが、このVガンダムに登場するクロノクルとカテジナは「お坊ちゃん」と「お嬢さん」である。二人とも貧しさとは無縁であり、生き残るために戦う必要は無い。彼/彼女が戦う理由は、世界の過ちを直し、清く正しい俺様ルール(マリア主義)を世に広めるためだ。決して弱者のためではない。そして本来なら手段でしかなかったはずのイデオロギーそのものに奉仕してしまっている彼らだからこそ、金持ちも貧乏人も区別無く「平等」に踏み潰して回ることが出来るのだ。

深窓の令嬢だったカテジナ。彼女がウーイッグ特別区に住む人々を憎んでいたのは、貧しい人々の味方だったからじゃない。特別区の住人が「不正」にその特権を保持していたからだ。カテジナはカサレリアの不法居住者をも嫌っていたが、それも彼らがまさに「不法」な存在だからだ。リガ・ミリティアで揉め事を起こしたのも、子供を利用するいう彼らの「不当」な戦術が気に食わなかったからだ。そんな「潔癖症」な彼女に、この「地球クリーン作戦」はぴったりだろう。

このようにマリア主義者たちは「世界が汚れている」ことを嘆く一方で「自分だけは絶対に汚れたくない、イノセントでいたい」という強迫観念に取り付かれている。「地上は埃っぽい」と言い、慌ててマスクを被るクロノクルが良い例だ。だがその埃はクロノクルが街を踏み潰したから生じたのだ。彼は世界の浄化を求める一方で、自らの手を汚すことは拒否する。いや、とっくに汚れているのだが、それを認めようとはしない。

カテジナがウーイッグをあっさり捨てるのも同じ理由だ。彼女はこの「不当な社会」そのものに我慢がならなかったのだが、それ以上に「不当な社会」の上に生きている「汚れた自分」が許せなかった。もし、本当にカテジナが弱者のことを考えていたのなら、父親の財産を使って弱者救済をすればいいし、政治家を目指してもしてもよかったはずだ。だが、彼女の本当の目的は清く正しい「ピュア」な人間になることだった。だから彼女は「汚れた財産や社会」と関わることを拒否して、マリア主義に走ってしまう。そうすれば幸せになれると信じて。こうして「己の業」を背負うことを拒否した結果、彼女はさらなる「業」を背負うことになる。

これは某カルト教団の出家信者たちと同じようなメンタリティだと思う。彼らの目的は社会変革以上に、自分自身がピュアな存在になることであった。だから、彼らは私有財産を否定したし、サティアンと呼ばれる聖域で自己浄化を目指して修行に励んだのだ。

マリア主義者たちとは対照的に、ウッソは核爆発を起こしてでもモトラッド艦の足を止めようとする。手を汚さないまま救済を訴えるマリア主義者と、手を汚してでも目の前の人間を救いたいリガ・ミリティアの大きな違いはここだ。