Vガンダム 44話「愛は光の果てに」

個人的な話だが、小学生の頃に「風の谷のナウシカ」を観て非常に感動したことがある。「ナウシカは心のキレイないい子だなぁ」なんて思ったものだ。ところが最近この作品を見直したところ「オウムより、ナウシカの方が暴走しているのでは」「こんな学級委員長タイプの女の子、鬱陶しくて嫌だな」なんて思ってしまった。どうやら大人になると素直な心を無くしてしまうものらしい。映画を観たり音楽を聴いてもなかなか感動しなくなるし、物事を素直に受け取らずに、つい斜めから穿った見方をしてしまう。そしてこんな自分に疲れてしまったとき、人は子供の頃の無垢さを取り戻したいと願うのだろう。たとえば本屋に行ってみて欲しい。そこには大人が涙するためのチープな童話集や「素直になれば全てうまくいく」なんていう怪しげな自己啓発本が平積みになっているはずだ。

さて、この44話に(突然登場する)キスハールとカリンガーも、そんな「子供のイノセンス」を求める大人たちだ。「子供が大人のように汚れるなど!」というカリンガーの台詞からも、この二人が大人である自分たちを「汚れた存在」だと感じているのがよく分かる。彼らは「子供のイノセンス」を取り戻したかったのだろし、実際、取り戻したのだろう。瞳が異様に澄んでいて、アブナイ光を湛えている。そしてだからこそ、この2人はカルトな宗教にのめり込み、ウッソとマーベットの三文芝居に騙され、シャクティの願いを真に受け、ファラの煽りに乗った挙句、お互いに殺しあい「こんな嘘だらけの世界の中でも、僕たちの愛は本物だよ」みたいなノリで死んでしまう。