Vガンダム 45話「幻覚に踊るウッソ」

ジャミトフ・ハイマンは連邦制度の引き締めとジオンの残党狩りを目的にティターンズを設立。右傾化する社会を憂いたブレックスは左翼過激派、エゥーゴを結成。エゥーゴの台頭を恐れたバスクティターンズを極右武闘派組織へと作り変えていった。こうして彼らは互いに暴走、グリプス戦役へと突入してゆく…。特に彼らが悪党だった、という訳ではないと思う。むしろその逆ではないだろうか。悪人だから右になる訳じゃないし、左になる訳でもない。立場はどうあれ、彼らは「よりよい社会を創り上げなくては」と考え、焦っていたのだ。

Vガンダムにおいては、成長や社会参加への意欲あふれるカテジナ&クロノクルのコンビより、消極的でいまいちヤル気のないウッソの方が肯定的に描かれている。この45話における女王マリアの祈りも「社会変革など夢見るな」「日常へ帰れ」というメッセージに他ならない。だが、これは一歩間違えば単なる現状肯定にしかならない。しかもマリアの祈り(母性)に闘争本能(向上心)を封じられたウッソは、現実を生きるどころか、幻覚の中で危うく死にかけてしまう。その時ウッソを救ったのは、闘争本能溢れるオデロが広げた光の翼と、シャクティが歌う「ひなげしの歌」だ。「…若者たちは 夢の翼を広げて ひなげしの花を 散らしながら 旅立っていく…」。

逆シャアからVガン時代の富野は現状肯定と社会変革願望の間で激しく揺れていたのだろう。この少年に、いや人類に「夢の翼」で旅立つことは必要なのか?と。

Vガンダム 44話「愛は光の果てに」

個人的な話だが、小学生の頃に「風の谷のナウシカ」を観て非常に感動したことがある。「ナウシカは心のキレイないい子だなぁ」なんて思ったものだ。ところが最近この作品を見直したところ「オウムより、ナウシカの方が暴走しているのでは」「こんな学級委員長タイプの女の子、鬱陶しくて嫌だな」なんて思ってしまった。どうやら大人になると素直な心を無くしてしまうものらしい。映画を観たり音楽を聴いてもなかなか感動しなくなるし、物事を素直に受け取らずに、つい斜めから穿った見方をしてしまう。そしてこんな自分に疲れてしまったとき、人は子供の頃の無垢さを取り戻したいと願うのだろう。たとえば本屋に行ってみて欲しい。そこには大人が涙するためのチープな童話集や「素直になれば全てうまくいく」なんていう怪しげな自己啓発本が平積みになっているはずだ。

さて、この44話に(突然登場する)キスハールとカリンガーも、そんな「子供のイノセンス」を求める大人たちだ。「子供が大人のように汚れるなど!」というカリンガーの台詞からも、この二人が大人である自分たちを「汚れた存在」だと感じているのがよく分かる。彼らは「子供のイノセンス」を取り戻したかったのだろし、実際、取り戻したのだろう。瞳が異様に澄んでいて、アブナイ光を湛えている。そしてだからこそ、この2人はカルトな宗教にのめり込み、ウッソとマーベットの三文芝居に騙され、シャクティの願いを真に受け、ファラの煽りに乗った挙句、お互いに殺しあい「こんな嘘だらけの世界の中でも、僕たちの愛は本物だよ」みたいなノリで死んでしまう。

Vガンダム 43話「戦場の彗星ファラ」

ムバラク将軍に「世界平和より、家庭の平和を守れよ」と嫌味を言われているウッソの父、ハンゲルグ。しかし今更息子にどう接していいのか分かず、結局いつも突き放した態度でウッソに接してしまう。富野アニメお約束の情けない父親である。

だが、このハンゲルグの存在感はリガ・ミリティア全体にポジティブな影響を与えている。リーンホースの偽ジンジャ・ハナムはハンゲルグへの対抗心からやる気を出しているし、「お姉さん」たちに甘やかされることで、ロクに成長してこなかったウッソが、父の承認を得ようと、ここで初めて主体的に行動し成長しようとする。子供というのは己の存在を無条件で全肯定し包み込んでくれる母性だけではなく、否定して突き放す厳しい父性が存在しなければ成長することが出来ないのだろう。

宇宙漂流の刑に処されたはずのファラは、その刑を下した張本人であるタシロに救助されていたらしい。タシロはファラの首を切って見せることで保身を図り、その上で彼女を自分直属の部下としたのだ。だがそのタシロ自身、後にズガンとの権力闘争に敗れてギロチンにかけられそうになる。地下に潜ったタシロを恐れたカガチは、ズガン牽制のためもあって彼を再利用する。ファラはそのタシロの非公式な部下なのだ。もう本当に訳が分からない(笑)。「偉いさんのやることは鬱陶しい」というファラの気持ちはよく分かる。そして彼女はもうこんな複雑でややこしい汚れた世間のことなんてどうでもいいのだ。男さえいれば。キースはその犠牲になってしまう。

ウッソがこのファラ・グリフォンの情念に飲み込まれそうになったときに、彼を助けにきたのは、あのハンゲルグだ。父の存在に励まされたウッソは、あのカサレリアのマチス・ワーカー(父親)の戦法でファラを撃退することに成功する。父性がその存在感を示すという、Vガン中でも珍しいエピソードだ。