ゴジラ-1.0と戦後民主主義(あるいは誰も死なない戦争)

過去のゴジラシリーズが意識的ないし無意識的に向きあってきた戦争、あるいは国家と個の関係を(おそらくは意識的に)棚上げしている作品だった。

内容的には、町内会の有志(自警団)がゴジラを退治するような話である。

 

舞台は終戦直後の混乱期、GHQ統治下の日本。

作中では三丁目の夕日的(貧しいけれど心が豊かだった)時代として描写されている。

特徴的なのはアメリカや日本(政府)、すなわち国家の存在が希薄なことだ。

主人公とゴジラも、国家や戦争というよりは、大戸島におけるローカルな事件(個人的なトラウマ)を介して繋がっている。

ゴジラの熱戦が生み出すキノコ雲だけが、国家と個の関係を記号的に示唆している。

いわゆる大きな社会が後景に遠のいている状態とも言えるかもしれない。

 

こうしたことから全体的には、90年代後半から00年代前半に流行った「セカイ系」作品にも近しい印象を受ける。

ただ、そこにあるのは「強すぎる自意識」ではなく、あの時代、日本が本格的に逆コースを歩み始める前にあった(ものとして描写されている)「戦後民主主義」に対する素朴な期待と信頼だろう。

そしてだからこそゴジラとの最終決戦が、国家を介さない「誰も死なない戦争」として描写されているのだろう。