機動戦士Vガンダムのこと

機動戦士VガンダムがブルーレイDVD化されたらしい。
「機動戦士Vガンダム」が“最高画質”で7月からBD-BOX化 - AV Watch

いつものことながら富野由悠季はこの作品について否定的な発言を繰り返している。私はそれを非常にもったいないと思う。なぜならVガンダムは歪んだ魅力にあふれた作品だからだ。

以前、私はVガンダムについてちょっとした、自分なりの解説を書いていた。だから今からVガンダムに触れる人たちのために、それらを少しづつ再アップしていきたいと思う。Vガンダムを楽しく観るための助けになるといいな、と思う。

Vガンダム 1話「白いモビルスーツ」 - カテジナ日記

Vガンダム 2話「マシンと会った日」 - カテジナ日記

Vガンダム 3話「ウッソの戦い」 - カテジナ日記

Vガンダム 4話「戦いは誰のために」 - カテジナ日記

Vガンダム 5話「ゴッゾーラの反撃」 - カテジナ日記

Vガンダム 6話「戦士のかがやき」 - カテジナ日記

Vガンダム 7話「ギロチンの音」 - カテジナ日記

Vガンダム 8話「激闘!波状攻撃」 - カテジナ日記

Vガンダム 9話「旅立ち」 - カテジナ日記

Vガンダム 10話「鮮烈!シュラク隊」 - カテジナ日記

Vガンダム 11話「シュラク隊の防壁」 - カテジナ日記

Vガンダム 12話「ギロチンを粉砕せよ」 - カテジナ日記

Vガンダム 13話「ジブラルタル空域」 - カテジナ日記

Vガンダム 14話「ジブラルタル攻防」 - カテジナ日記

Vガンダム 15話「スペースダスト」 - カテジナ日記

Vガンダム「ファラ・グリフォン」 - カテジナ日記

Vガンダム 16話「リーンホース浮上」 - カテジナ日記

Vガンダム 17話「帝国の女王」 - カテジナ日記

Vガンダム 18話「宇宙艦隊戦」 - カテジナ日記

Vガンダム 18話「宇宙艦隊戦」 - カテジナ日記

Vガンダム 19話「シャクティを探せ」 - カテジナ日記

Vガンダム 20話「決戦前夜」 - カテジナ日記

Vガンダム 21話「戦略衛星を叩け」 - カテジナ日記

Vガンダム 22話「宇宙の虎」 - カテジナ日記

Vガンダム 23話「ザンスカール潜入」 - カテジナ日記

Vガンダム 24話「首都攻防」 - カテジナ日記

Vガンダム 25話「敵艦と敵地へ」 - カテジナ日記

Vガンダム 26話「マリアとウッソ」 - カテジナ日記

Vガンダム 27話「宇宙を走る閃光」 - カテジナ日記

Vガンダム「カテジナとウッソ」 - カテジナ日記

Vガンダム 28話「大脱走」 - カテジナ日記

Vガンダム 29話「新しいスーツV2」 - カテジナ日記

Vガンダム 30話「母のガンダム」 - カテジナ日記

Vガンダム 31話「モトラッド発進」 - カテジナ日記

Vガンダム 32話「ドッゴーラ激進」 - カテジナ日記

Vガンダム 33話「海に住む人々」 - カテジナ日記

Vガンダム 34話「巨大ローラー作戦」 - カテジナ日記

Vガンダム 35話「母かシャクティか」 - カテジナ日記

Vガンダム 36話「母よ大地に帰れ」 - カテジナ日記

Vガンダム 37話「逆襲ツインラッド」 - カテジナ日記

Vガンダム 38話「北海を炎にそめて」 - カテジナ日記

Vガンダム 39話「光の翼の歌」 - カテジナ日記

Vガンダム 40話「超高空攻撃の下」 - カテジナ日記

Vガンダム 41話「父の作った戦場」 - カテジナ日記

Vガンダム 42話「鮮血は光の渦に」 - カテジナ日記

Vガンダム 43話「戦場の彗星ファラ」 - カテジナ日記

Vガンダム 44話「愛は光の果てに」 - カテジナ日記

Vガンダム 45話「幻覚に踊るウッソ」 - カテジナ日記

Vガンダム 46話「タシロ反乱」 - カテジナ日記

Vガンダム 47話「女たちの戦場」 - カテジナ日記

Vガンダム 48話「消える命 咲く命」 - カテジナ日記

Vガンダム 49話「天使の輪の上で」 - カテジナ日記

Vガンダム 50話「憎しみが呼ぶ対決」 - カテジナ日記

Vガンダム「クロノクル・アシャー」 - カテジナ日記

Vガンダム 51話「天使たちの昇天」 - カテジナ日記

Vガンダム「カテジナ・ルース」 - カテジナ日記

ゴジラ-1.0と戦後民主主義(あるいは誰も死なない戦争)

過去のゴジラシリーズが意識的ないし無意識的に向きあってきた戦争、あるいは国家と個の関係を(おそらくは意識的に)棚上げしている作品だった。

内容的には、町内会の有志(自警団)がゴジラを退治するような話である。

 

舞台は終戦直後の混乱期、GHQ統治下の日本。

作中では三丁目の夕日的(貧しいけれど心が豊かだった)時代として描写されている。

特徴的なのはアメリカや日本(政府)、すなわち国家の存在が希薄なことだ。

主人公とゴジラも、国家や戦争というよりは、大戸島におけるローカルな事件(個人的なトラウマ)を介して繋がっている。

ゴジラの熱戦が生み出すキノコ雲だけが、国家と個の関係を記号的に示唆している。

いわゆる大きな社会が後景に遠のいている状態とも言えるかもしれない。

 

こうしたことから全体的には、90年代後半から00年代前半に流行った「セカイ系」作品にも近しい印象を受ける。

ただ、そこにあるのは「強すぎる自意識」ではなく、あの時代、日本が本格的に逆コースを歩み始める前にあった(ものとして描写されている)「戦後民主主義」に対する素朴な期待と信頼だろう。

そしてだからこそゴジラとの最終決戦が、国家を介さない「誰も死なない戦争」として描写されているのだろう。